「命にかかわる病気」に向き合った偉人たち

重い病気で、命の不安がある。 同じ悩みと向き合った日本の偉人10人の人生物語を読めます。
この悩みを抱えた偉人
- 伊達政宗 — 最後まで、強がった人
「死んだあと像を造るなら、両目とも正しく造れ」。片目を恥じた男は、毒を盛ったと伝わる母に小袖を送り、首のかかった場で、その片目を自分から持ち出した。最後に娘へ残したのは、一行で筆の止まった返事だった。
- 樋口一葉 — 道ばたでいい、と言った人
「私の一生は、破れに破れて、道ばたに倒れ伏す物乞い」。二十一歳の彼女は、偽名で訪ねた男にそう言った。借金を頼んでは断られ、日記に毒づき、天才と呼ばれても信じなかった、樋口一葉の24年。
- 広岡浅子 — 甘えたことのない人
十二歳のころ、本を読むことを禁じられた。嫁いだ家を支えて炭鉱へ乗りこみ、女子の大学をつくる側に回った。六十二歳のクリスマス、その人は、洗礼を受ける子どもたちの中に入れてくださいと頼んだ。
- 人見絹枝 — 超然となんか、できなかった
「負けたとき、日本の人はどんな顔で私を見るだろう」。19歳で、たった一人スウェーデンへ向かった彼女は、それがいちばんこわかった。超然となんかできなかった、日本で初めての女性メダリストの物語。
- 石川啄木 — 正直な嘘つき
「あの頃はよく嘘を言ひき」と、彼は自分で歌に書いた。結婚式をすっぽかし、友に借りては暮らし、家族を待たせた男は、やがて飾らない言葉だけを書くようになる。暮らしのほうは、最後まで変わらなかった。
- 嘉納治五郎 — 疲れた、と言わない人
「今の手は、どうしてかけるのです」。聞くたびに、答えのかわりに投げられた若者がいた。体は小さく、負けず嫌いで、家のことは妻に任せきり。77歳の船の上でも、苦しくはない、と答えたと伝えられる、柔道の生みの親の一生。
- 正岡子規 — 欲張りな病人
「病床六尺、これが我世界である」。友に蒲焼の勘定を回し、選んだ弟子に断られ、痛ければ叫んだ。それでも死の五日前の朝には庭を眺め、納豆売りを励ました、欲張りな俳人の物語。
- 森鴎外 — 本気にされたかった人
仮面舞踏会で「私は外国人です。踊れません」と断った24歳の軍医。2年半後、ドイツから一人の女性が彼を追って日本へ来た。人にどう見られるかに本気で怒り、最後はすべての肩書きを断った人の物語。
- 荻野吟子 — 扉を開けて、出ていった人
「願書は再び呈して再び却下されたり」。女だから、と医者の試験を四度はねつけられた人がいた。やっと開いた扉を、彼女はやがて、自分から出ていく。日本で初めて試験を通った女医の、ひたむきで割り切れない一生。
- 大隈重信 — 惜しくない、と言う人
「数十年前に切っておくべきだった足を、よくもあの日までとっておけたものだ」。爆弾で右足を失った男は、そう語った。学校を追われたことを幸福と言い、死にかけた病も不要ではないと言い、失った片足さえ惜しいこともないと言った人の、強がりと、それを支えた人たちの物語。