「してあげられなかった後悔」に向き合った偉人たち

大切な人に、もっと何かできたのにと悔やんでいる。 同じ悩みと向き合った日本の偉人6人の人生物語を読めます。
この悩みを抱えた偉人
- 伊達政宗 — 最後まで、強がった人
「死んだあと像を造るなら、両目とも正しく造れ」。片目を恥じた男は、毒を盛ったと伝わる母に小袖を送り、首のかかった場で、その片目を自分から持ち出した。最後に娘へ残したのは、一行で筆の止まった返事だった。
- 太宰治 — 寝言のふりをした人
父の万年筆が欲しかった少年は、寝言のふりでしか頼めなかった。嘘をつき、借金をし、「もらって下さい」と賞まで頼みこんだ作家の、恥ずかしくて目が離せない一生。
- 小泉セツ — 名乗らなかった語り手
「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考でなければ、いけません」。本を見ながら昔話をする妻に、夫はそう言った。『怪談』の話の多くを語って聞かせたのは、彼女だった。表紙に、その名はない。
- 牧野富太郎 — 惜しまなかった人
「お金を惜しむ者は、植物学者になれない」。二十歳のころそう書いた酒屋の一人息子は、家の財産を草に注ぎ込み、執達吏が家財を押さえるそばで植物の記事を書いた。その暮らしを支えたのは、夫を「道楽息子」と冗談に呼んだ妻だった。
- 中原中也 — 憎みきれない人
恋人が親友のもとへ去る日、彼は彼女の割れ物を、その男の家まで届けた。「私の敵の男」と書いたその人に、十二年後、最後の詩集を託す。三十歳で逝った詩人の、口惜しくて憎みきれない一生。
- 野口英世 — 返しきれない人
左手のことを書いた作文に、級友が10銭ずつ出し合った。その日から彼は、借りては使い果たし、また頭を下げ続けた。かつて千円札に描かれた人の、格好悪くて憎めない一生。