「家族と離れて暮らす」に向き合った偉人たち

遠くにいて、家族になかなか会えない。 同じ悩みと向き合った日本の偉人6人の人生物語を読めます。
この悩みを抱えた偉人
- 伊達政宗 — 最後まで、強がった人
「死んだあと像を造るなら、両目とも正しく造れ」。片目を恥じた男は、毒を盛ったと伝わる母に小袖を送り、首のかかった場で、その片目を自分から持ち出した。最後に娘へ残したのは、一行で筆の止まった返事だった。
- 太宰治 — 寝言のふりをした人
父の万年筆が欲しかった少年は、寝言のふりでしか頼めなかった。嘘をつき、借金をし、「もらって下さい」と賞まで頼みこんだ作家の、恥ずかしくて目が離せない一生。
- 中浜万次郎 — 箸で日本人になった人
「腹をすかせていることのほかは、何ひとつ分からなかった」。アメリカの船長が日誌にそう書いた漂流の少年は、十年後、日本語を忘れて帰り、二本の箸で日本人だと認められた。ジョン万次郎の名で知られる人の、侍になっても船乗りのままだった一生。
- 野口英世 — 返しきれない人
左手のことを書いた作文に、級友が10銭ずつ出し合った。その日から彼は、借りては使い果たし、また頭を下げ続けた。かつて千円札に描かれた人の、格好悪くて憎めない一生。
- 坂本龍馬 — 死ねない、と書いた人
運が強くて、死ぬような場所へ出ても死ねない。27歳の弟は、姉への手紙にそう書き、次の手紙では、エヘン、エヘンと威張った。日本を洗濯すると言った男の、見栄っぱりで、冗談の止まらない31年。
- 津田梅子 — 自分の国の言葉
手も足も縛られている。耳も聞こえず、口もきけない。17歳の娘がそう書き送ったのは、生まれた国の、自分の家からだった。新しい五千円札の人の、居場所を探し続けた一生。