「きょうだいを亡くした」に向き合った偉人たち

兄弟姉妹が亡くなった。 同じ悩みと向き合った日本の偉人5人の人生物語を読めます。
この悩みを抱えた偉人
- 伊達政宗 — 最後まで、強がった人
「死んだあと像を造るなら、両目とも正しく造れ」。片目を恥じた男は、毒を盛ったと伝わる母に小袖を送り、首のかかった場で、その片目を自分から持ち出した。最後に娘へ残したのは、一行で筆の止まった返事だった。
- 福沢諭吉 — 平気なふりをする人
酒がもらえるならと、泣かずに頭を剃らせた子どもがいた。うれしいことも腹の立つことも顔に出さない、と決めたその人は、身近で世話をした人の目には、喜びも怒りも隠さず外に出す人に見えていた。かつて一万円札に描かれた人の、強がりの一生。
- 広岡浅子 — 甘えたことのない人
十二歳のころ、本を読むことを禁じられた。嫁いだ家を支えて炭鉱へ乗りこみ、女子の大学をつくる側に回った。六十二歳のクリスマス、その人は、洗礼を受ける子どもたちの中に入れてくださいと頼んだ。
- 森鴎外 — 本気にされたかった人
仮面舞踏会で「私は外国人です。踊れません」と断った24歳の軍医。2年半後、ドイツから一人の女性が彼を追って日本へ来た。人にどう見られるかに本気で怒り、最後はすべての肩書きを断った人の物語。
- 中原中也 — 憎みきれない人
恋人が親友のもとへ去る日、彼は彼女の割れ物を、その男の家まで届けた。「私の敵の男」と書いたその人に、十二年後、最後の詩集を託す。三十歳で逝った詩人の、口惜しくて憎みきれない一生。