「夫・妻・恋人を亡くした」に向き合った偉人たち

人生をともにした相手が亡くなった。 同じ悩みと向き合った日本の偉人5人の人生物語を読めます。
この悩みを抱えた偉人
- 広岡浅子 — 甘えたことのない人
十二歳のころ、本を読むことを禁じられた。嫁いだ家を支えて炭鉱へ乗りこみ、女子の大学をつくる側に回った。六十二歳のクリスマス、その人は、洗礼を受ける子どもたちの中に入れてくださいと頼んだ。
- 小泉セツ — 名乗らなかった語り手
「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考でなければ、いけません」。本を見ながら昔話をする妻に、夫はそう言った。『怪談』の話の多くを語って聞かせたのは、彼女だった。表紙に、その名はない。
- 牧野富太郎 — 惜しまなかった人
「お金を惜しむ者は、植物学者になれない」。二十歳のころそう書いた酒屋の一人息子は、家の財産を草に注ぎ込み、執達吏が家財を押さえるそばで植物の記事を書いた。その暮らしを支えたのは、夫を「道楽息子」と冗談に呼んだ妻だった。
- 紫式部 — 一の字も書かない人
「一という字さえ、書きもしません」。そう書いた人が、とても長い物語を書いた。父に嘆かれ、宮中で陰口をたたかれ、隠しつづけたことを、最後に一通の手紙に書いて「お読みになったら、すぐに返してください」と頼んだ人の話。
- 荻野吟子 — 扉を開けて、出ていった人
「願書は再び呈して再び却下されたり」。女だから、と医者の試験を四度はねつけられた人がいた。やっと開いた扉を、彼女はやがて、自分から出ていく。日本で初めて試験を通った女医の、ひたむきで割り切れない一生。