「こわがりな自分がいや」に向き合った偉人たち

こわくて逃げてしまう自分がなさけない。 同じ悩みと向き合った日本の偉人5人の人生物語を読めます。
この悩みを抱えた偉人
- 伊達政宗 — 最後まで、強がった人
「死んだあと像を造るなら、両目とも正しく造れ」。片目を恥じた男は、毒を盛ったと伝わる母に小袖を送り、首のかかった場で、その片目を自分から持ち出した。最後に娘へ残したのは、一行で筆の止まった返事だった。
- 福沢諭吉 — 平気なふりをする人
酒がもらえるならと、泣かずに頭を剃らせた子どもがいた。うれしいことも腹の立つことも顔に出さない、と決めたその人は、身近で世話をした人の目には、喜びも怒りも隠さず外に出す人に見えていた。かつて一万円札に描かれた人の、強がりの一生。
- 人見絹枝 — 超然となんか、できなかった
「負けたとき、日本の人はどんな顔で私を見るだろう」。19歳で、たった一人スウェーデンへ向かった彼女は、それがいちばんこわかった。超然となんかできなかった、日本で初めての女性メダリストの物語。
- 小泉セツ — 名乗らなかった語り手
「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考でなければ、いけません」。本を見ながら昔話をする妻に、夫はそう言った。『怪談』の話の多くを語って聞かせたのは、彼女だった。表紙に、その名はない。
- 宮本武蔵 — 世に逢わなかった名人
「勝ったのは、兵法を極めたからではなかった」。一度も負けなかった男は、六十歳でそう書いた。どこにも仕えず、子どもに臆病と笑われ、殿様の前で絵をしくじった人の、強がりな一生。