「ことばが通じない」に向き合った偉人たち

言いたいことが、ことばの壁で伝わらない。 同じ悩みと向き合った日本の偉人4人の人生物語を読めます。
この悩みを抱えた偉人
- 人見絹枝 — 超然となんか、できなかった
「負けたとき、日本の人はどんな顔で私を見るだろう」。19歳で、たった一人スウェーデンへ向かった彼女は、それがいちばんこわかった。超然となんかできなかった、日本で初めての女性メダリストの物語。
- 小泉セツ — 名乗らなかった語り手
「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考でなければ、いけません」。本を見ながら昔話をする妻に、夫はそう言った。『怪談』の話の多くを語って聞かせたのは、彼女だった。表紙に、その名はない。
- 中浜万次郎 — 箸で日本人になった人
「腹をすかせていることのほかは、何ひとつ分からなかった」。アメリカの船長が日誌にそう書いた漂流の少年は、十年後、日本語を忘れて帰り、二本の箸で日本人だと認められた。ジョン万次郎の名で知られる人の、侍になっても船乗りのままだった一生。
- 津田梅子 — 自分の国の言葉
手も足も縛られている。耳も聞こえず、口もきけない。17歳の娘がそう書き送ったのは、生まれた国の、自分の家からだった。新しい五千円札の人の、居場所を探し続けた一生。